矢橋六朗モザイクに魅せられて

私がまだ渋谷に住んでいた小学校低学年の頃、家族で銀座に映画を観に行くのが恒例になってました。

初めて観た映画、チャップリンの「モダンタイムス」は 今でも大好きな映画です。

ある日、映画を観た後で寄った、有楽町駅前にある「東京交通会館」。

ここの2階にパスポートセンターがあります。両親がアメリカ旅行に行くので、パスポートを受け取るためでした。

そこで私は衝撃を受けることになります。

中央階段を登っているとき、目の前に現れた得体の知れない壁。

「緑の散歩」

それはモザイクと言われる、粉々になった大理石が寄せ集まった大きな壁。

オヤジはタイル屋だったので、日頃からタイルの「カケラ」やタイルの壁を見ていたとは言え、まったく別物の光景でした。

その後、この壁を作ったのが 矢橋六郎という方だと知ります。

「緑の散歩」

それ以来、矢橋六郎氏のモザイクの壁を見ることがライフワークになりました。

ちなみに「東京交通会館」の作品は「緑の散歩」と「白馬」。

「白馬」

衝撃だった「白馬」は今でも一番好きな作品です。


日本近代洋画の礎を築いた矢橋六郎氏。

画家、モザイク作家として活躍する傍ら、矢橋大理石商店の経営、

武蔵野美術大学講師、東京藝術大学講師としても尽力。

まさに「モダンアートの旗手」として昭和を駆け抜けた方。

矢橋六郎氏は日本において、大理石モザイク壁画の先駆者としても有名です。

手がけたモザイク壁(床)画は、公式では地元の岐阜県を中心に全国に93ヶ所。

惜しまれつつ撤去された作品もありますが、まだまだパブリックスペースの作品は今でも鑑賞が出来ます。

中にはパブリックではない、私的空間にもモザイクを制作されています。

許可を頂いて特別見せて頂いた場所もあれば、絶対に無理!と言う場所も。

自民党本部の「実りの朝」は議員にならないと見れないかもしれません(汗)

首相執務室、幹事長室のフロアにあるらしいので、一般人の見学は難しいでしょうね。

今でこそ「矢橋六郎 モザイク」で検索すればGoogle先生が色々と情報をくれます。

手前味噌で恐縮ですが、私が2013年に弊社blogで矢橋氏のモザイク記事を投稿した頃は、ネット上に矢橋氏のモザイク情報はほとんどなく、絵画の情報ばかりでした。

雑誌媒体でも同様で、喜井豊治氏が東京交通会館や日本生命日比谷ビルに関して掲載された2008年頃の「タイルの本」ぐらいでしょうか。

唯一の情報が1970年に出版された「矢橋六郎モザイク作品集」(求龍堂)でした。

神田の古本屋で見つけたときは飛び上がって喜びましたね〜。

限定1,000部。10年前も入手困難だったのでとてもラッキーでした。

実は1964年にも「矢橋マーブルモザイク作品集 第一集」が出版されており、こちらは超貴重な一冊となっております。


今では矢橋ブーム?と言っては語弊がありますが、矢橋氏のモザイク作品の価値や魅力が再確認され、更に近年はあらためて回りを見回す時間や余裕があり、こんなところにモザイクが!今まで気がつかなかった!という発見と共に、FaceBook、InstagramなどのSNSで矢橋氏の作品がUPされ、数多く周知されていることは、矢橋ファンのひとりとしてうれしい限りです。

あの高度成長期があったから我々は今、先進国並みに生活しています。あの時代の日本のモノ作り、インフラ、環境整備のために尽力した先人たちの努力に対し、現代の日本人は感謝と敬意を表し、公害、自然破壊など悪いモノは是正し、いいモノは継承していかなければならないのでは、と。

でもどうかすると、古いモノ、時代後れのモノをなかったことにする動きが顕著になっているような気がするのは私だけでしょうか。

老朽化という大義名分のもと、進化、効率化、活性化、再開発と言えば聞こえはいいですが、あらたなCIを求めて背伸びしている姿は見るに堪えられません。

私も建築業界の端くれなので、理解はしています。改修、改築より建て替えた方が予算的、工期的によく、維持、保全管理なども然り。大人の事情で他人にはわからない事もあるしょう。

矢橋氏のモザイク作品もそんな変革期にあって、消えてゆく作品も少なくありません。公式では現存していない作品が44作品(数点は移設予定)で約半数。パブリック空間、建築物の一部である以上、道連れの運命は避けられないしょう。

ですので、それは受け入れるしかなく、なぜなら矢橋作品とその空間は一体なのですから。

矢橋氏も言っています。

「私は壁画の依頼を受けると、先ずその建物の性格とマッチする事を考える。そのために懸命の努力をする。」

有名な建築家が「椅子」を多く作っています。そして、その「椅子」は建物の一部であり、建物のためであり、そこに住む人のため。

私はガウディが好きですが、ガウディが作った椅子を一脚、我が家の居間や書斎に置いたとします。でもそれはガウディの椅子ではありません。値段の高いちょっと変わった椅子。我が家にミスマッチの椅子。

なぜならその椅子は、ガウディが「カサ・カルベ」のため、「カサ・ミラ」のため、「カサ・バトリョ」のために作った椅子だからです。

矢橋六郎氏はどう思っているでしょうか?

「折角苦労して作った私の作品を壊すとは何事か!」と思っているでしょうか?

とは言え、わがままな矢橋ファンの私は、所有者の意向に完全に依存するものの、作品が一つでも維持保全されて子々孫々まで残ってくれる事を願ってやみません。

たとえ空間が違えど、矢橋氏のモザイクに込められた波動とエネルギーは永遠だから。

近年、矢橋氏のモザイク作品が移設、再設などにより消滅の憂き目から避けられている場面が増えています。心ある所有者、関係者、そして矢橋六郎を愛する皆さんの尽力と努力の賜と心より敬意を表します。

でもチョット違うかなーと思うのは。。。

去年の8月、大垣市役所の旧庁舎ロビーに設置されていた矢橋六郎氏の壁画「西濃の四季」が、大垣市市制100周年を記念して建てられた新庁舎7階議場へ移設されました。

どうして議場?前のようにロビーにあれば、市役所に来る万人が目にすることが出来るのに。

私が子供の頃、東京交通会館で見て感動したのは、パブリックスペースにあったからです。

いつでも誰でも鑑賞できる場所にあったからです。子供達が簡単に議場に入れるでしょうか?市民鑑賞会もあるようですが、何人の子供達が「西濃の四季」で感動するでしょうか?

一部の議員さんや関係者しか入れない場所に、大事大事に保管設置してしまったのですね。残念です。

将来「僕も矢橋六郎みたいなモザイクを作るんだ!」って現れる子がいたかもしれないのに。なにしろ矢橋六郎氏のお膝元、大垣市ですから。

矢橋氏はこうも言っています。

「画家として、壁画を作る仕事は恵まれたことと思う。その建物に出入りする幾十万、幾百万の人々がその前を通りながら見てくれる。絵に関心のある人もない人も・・・。たとえ関心が無い人、あるいは薄い人でも何度も見る中には親しみを持って来ると思う、それは作家にとって何より嬉しい事である。」

矢橋氏は、「西濃の四季」も前を通り行く色々な人に見てもらいたいんだろうなぁ〜。

最後に今、札幌で仕事をしている関係で、北海道の矢橋作品の事を。

帯広ステーションホテルのロビーにあったとされる壁モザイクはすでに現存していません。去年、帯広で昭和の雑貨屋を営む、地元に詳しい店主に調べて頂いたのですが、ホテルのパンフレットは探し出して頂いたものの、モザイク写真の記載はなく、自身で撮ったモザイクの画像はまったく残ってないとの事でした。

もう一つは北海道博物館のエントランス床。

こちらは現存しております、点字ブロックがモザイクの上に設置され、新型コロナの検温ブース、カフェのテーブルと椅子などが置かれ、全体像は一見出来ませんでしたがそれは仕方のないことですね。

お話しを伺った学芸員さんも当時の状況はご存じなく、更には大垣市作成のモザイク作品集の撮影隊が来るまでは矢橋氏の事も知らなかったとか。

「そんなに有名な方のモザイクとは知りませんでした。ぜひ、こちらのモザイクだけでも見学にご来館ください」札幌にお立ち寄りの際にはぜひ。

(文:瀧山一弘 タイル施工会社経営/当サイトスタッフ)

 

参考文献・引用
「矢橋六郎 モザイク作品集」矢橋六郎著 求龍堂 1970年
「矢橋六郎 大理石モザイク作品集」大垣市役所 2021年
  掲載画像・本人撮影